竹内理論は是か否か?その1

特養ってことで、老施協の科学的介護とやらをやらされてます。

科学的って言っても、整形外科の竹内ドクターが言ってるだけで、全く科学的じゃなかったりするんですが‥


おいらが思う、竹内理論の最も非科学的な部分を紹介したいと思います。


竹内理論では、アルツハイマーとかピック病とかの認知症の種類に応じてのケアより、問題行動などの出てきた症状で分類してのケアが優先されます。

では、その分類なんですが

身体不調型
日内変動がある。興奮を伴う。

認知障害型
自分のいる場所が分からない。

環境不適応型
新しい環境や人に対応できず、拒否する。

葛藤型
自分の置かれている環境に対し、戦いを挑んだり抵抗したりする。

遊離型
無気力・無関心

回帰型
その人にとっての古き良き時代に帰ってしまう。

こんな6つのタイプに分類し、タイプにあったケアをすれば、認知症は良くなるというのが、化学的介護の言い分ですw


老施協の化学的介護研修では、参加施設からの発表で「〇〇さんは遊離型であると判断して、〇〇や〇〇のケアを行いましたが、症状に変化はありませんでした」なんて言うものなら、講師から罵声が浴びせられますw

「タイプ判定が間違っているから、結果が出ない!」


ここが最大の非科学的な所です。

そもそも判定スケールが無いのだから、間違って当たり前。
HRS-Rみたいに、いくつかの質問をチェックして最も点数が高いタイプに判定するとかのスケールさえ無いところに問題があります。
タイプ判定は良くも悪くもアセッサー次第、つまりは、援助者の能力次第で結果が変わるってことにおいて、従来のケアと本質的には何の変わりもない。
それでも老施協と竹内一派は、化学的介護の実践データを求めてきますが、そんなデータを集めても何にもなりゃしない。

基準の無いところにエビデンスは成立しない。

判定スケールさえ無いのに、データをいくら集めても「これで認知症が改善した」と認める医療関係者がどれだけいるんでしょう?
フロイドやユング、アドラー等の心理学が医療関係者に受け入れられないのと同じです。
治療者の力量次第で、結果が変わる=非科学的だと。

そのフロイドは、ヒステリーなどの症状を治すのに、患者本人が忘れている(苦痛であるがゆえに記憶の奥にしまいこんでいる)ことに着目し、忘れられていることへのアセスメント手段として、自由連想法や夢判断を生み出しました。
つまり、フロイドは患者の脳には、患者が歩んできた人生全てが詰まっていると考えていたわけです。

そして分析心理学の祖ユングは、メインの人格=ペルソナ、裏にある別の人格=シャドウとか、女性原型=アニマと男性原型=アニムス、内向的と外交的、直感型と感覚型というように、対立する2つの軸で性格の分類をしています。
東洋思想を好むユングらしい発想ですよね。
つまり、ユングは人の心の中は曼荼羅=宇宙に等しいと考えていたわけです。

この心理学の基礎理論に対して、認知症を6つのタイプに分類って、そんな患者を矮小化するような理論のなんとちっぽけなことか。

それでも竹内理論に一定の支持があるのは、施設管理者から見れば、楽だからでしょうね。
6つのタイプで決め打ちのケアしてればいいんですもの、そりゃあ楽ですw

介護福祉の大きな流れとして、ICF、個別ケア、ノーマライゼーション等の考えを推進するっていうのがありますけど、竹内理論はこの流れに逆らってます。

そもそも、認知症の周辺症状を軽減したところで、在宅復帰まで行ける人が特養にどれだけいるんだろう?
尿意便意があって、伝い歩きで一人でトイレができて、紙集めや物盗られ妄想が軽減すれば家に戻れるとか、50人いても1〜2名じゃないかと思います。

だったら、認知症の周辺症状も含めて、新しい個性の獲得として受け入れて、穏やかに過ごしていただくのも援助者の姿勢として正しいのではないか。
そりゃ、夜な夜な徘徊して離設リスク大な人は、現場としては困りますけど、そんな人を便所で2人かがりで押さえつけて腹圧かけて、排便させるっていうのもどうなんだろうって思いますけどね。


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